20240301

2024年3月1日 12:45~13:12

 星尾神社の境内、北向きの社殿の前で書いている。背の高いモミやクロマツアカマツに囲まれており人気はない。太陽を薄く覆う雲から少量の雪がじっと振り続けている。昼前から降り始めたその雪は、松の枝が横たわって落ちているこの境内や私の書いた文字に落下、透明になって消えていく。神社の屋根瓦に落ちたものだけが白い斑点をつくっている。

 後ろを振り返れば、登ってきた石段、歩いてきた参道がある。少し前にくぐった鳥居の横には、新調されて日が立っていないであろう真っ白な看板がある。書かれているのは建立の言い伝えで、今や私のiPhoneに収められている。

 

『往古から伝えられたところによると、この地は古代黒田として称え、戸数七十余戸の住人は、深く北辰(北極星)を進行していた。

 承久年間順徳天皇の御代に流れ星が落下、水田で光り輝いていた、この地の豪族妹尾兼定は、これを取りこの地に小祠を建てて奉祀し住民は明神様として厚く信仰した。

 およそ百年後の正中元年時の豪族妹尾平治右衛門が重病を患い神祇星辰に祈願していたところ、ある夜二十八宿の二つ「星、尾」を夢に見て、以来快方に向い、全快明神の加護ご神徳を深く感じ宮社を建立、星尾大明神と称し斎き祀ったのがその創建と伝えられている。

 以来黒田村を星田村に改められたという。

 現在の大字星田が当時の星田村である。』

 

 と書いている間も雪は降り続け、手がひたひたと冷えていく。時折強く吹き付ける風によって雪が舞う。背の高い木々が起こす葉擦れのざわざわとした音が少し怖い。唯一視界の開けている東側へ逃げるように移動すれば、斜面を登っていく道路やぽつりぽつり立つビニールハウス、屋根瓦の家々を見ることができた。道をたどって視線を上げれば、そう遠くに旅する間もなく地平線に到達した。

 神社を一周するように南側へと歩みを進めると、1組の紙垂が枝に括り付けられていた。その下から続くささやかなけもの道―参道は鬱蒼とした木々の中、湿った落ち葉で覆われた斜面を下り、左に大きく曲がって続いていく。ふと、真っ白な看板に書いてあったことを思い出す。

 

『現在の社殿は北向きに建てられているが、古くは南向きであったといわれている。

 伝えられるところによると、笠岡沖で毎年不漁が続くので、易ったところ北側に神威のはげしい神様の神殿が、南向きに建てられているためだとのお告げにより漁師たちが星田へ来て神殿の方向を替えるよう懇望され、北向きに建て替えたという。

 以来豊漁が続き。毎年の祭礼には笠岡から魚三荷が奉納されていたが、この慣習も天保(1830)の頃廃止されたと伝えられている。』

 

 木陰が折り重なった参道がいつからあるものなのか定かではなく、ましてや天保以前から踏み固められ続けたという保証はない。ただ、歩き続けることで残るものがあるのだと、それは書き続けることだって同じだろう。

 神社の西側にある奉納石柱は風化が激しく、そこに刻まれた文字を満足に読むことは難しい。いくら目をこらしても読み進められず、ひと際大きな葉擦れの音で我に返った。目の前を通り過ぎる雪によって視界が白い。ノートに舞い降りた雪は溶けることなく留まっている。拝殿の軒下に避難する。軒裏とマツの林に囲まれた狭い空を見上げると灰色の分厚い雲が見えた。石柱の文字は白くなった視界の中ではもう完全に字が読めない。彼らが支えた神社、降りしきる雪から私を守っている。

 『いくら目をこらしても読み進められず』から『今の私を守っている。』までをノートに書いたところで、日が差した。もう一度空を仰ぐ。木々の緑をフォトフレームにした空の中で、南側には灰色が、それでも北側は青々としている。弱まってもなお振り続ける雪に光が当たる。高いところで白く輝いたそれは、その風景は北極星のようだった。