ノーアウトランナー23塁

 ノーアウトランナー23塁。それを聞いた少年は地面を強く蹴り、バットを構えた。その目はピッチャーである父親を、そしてその奥、遠くの生垣を見据えている。ピッチャーがセットポジションに入る。日焼けした腕が地面に向かって真っすぐ下に伸びる。ボールを握った腕を少し後ろに引くと同時に、バットが神経を研ぎ澄ませるようにして僅かな動きをも止める。慎重な振り子運動によって放たれたボールは山なりの軌道でストライクゾーンに吸い込まれていく。バットが強く空を切る。大ぶりのスイング。惜しいなあ。聞こえないふりをして落とした肩をそのままに、小さな影がグラウンドに転がるボールを追っていく。

 ワンストライクノーボール。続けて父親はこう告げる。前の2打席の思い出すんだ。力を抜いてその時に備えるんだ。うん、とうなずき、再びバットを手にする。ピッチャーが投球動作に入る。少年はじっと待っている。少し後ろに引かれた手。緩やかな放物線の頂点でパトカーのサイレンが鳴った。打球音をかき消したその赤が急ぐように横切った。ボールはサードへと転がっていく。いまのは?、少年が声を張り上げる。甲高いサイレンは次第に小さくなり、やがて消えた。サードゴロだ。淡々と告げながら、レフトへと駆けていく。そっかとつぶやいた声は小さくて、外野までは届かない。でも。足を止めた父親が言う。悪くなかった。少年は2度の素振り。

 ワンアウトランナー23塁。深呼吸が束の間の静寂を促す。ピッチャーとバッターの視線が交錯する。口をしっかりと結び、小さく頷いた。ど真ん中のストレート。大きく力強い、洗練されたスイング。打球音が響く。白球は宙を舞う。天を仰ぐピッチャー。口角が上がる。動きを止めた外野手は、雄大に伸びる飛行機雲を仰ぎ見た。やったな。生垣への落下音を背景に、マウンドの上で手を広げたのは父親だ。少年が走り出す。ホームランだ。

20240330

2024年3月30日 14:16~14:49

 奉還町商店街の出口付近、横に2つ並んだオレンジ色のベンチに腰掛けて書いている。周りの建物の背が低いため太陽の暖かさを感じられる場所だ。曇り空であることを忘れるような明るさがベンチを色づけたようにも思う。

 目の前を人が、ひっきりなしとは言えずとも次々に通っていく。足音が遠くへ消えれば、また別の足音が聞こえてくる。たたんたんと靴音が連れてくる会話は、一部始終が分かるわけではないが、よく弾んでいる。人の音がなくなれば、残されたのは紙の上を滑るペンともっと上から鳥の鳴き声。濁点混じりのそれは一回きりだったようで、目の前の印象的な建物―涼やかな黄色の1階と生まれたばかりような白色の2階、そんな2層の建物と商店街のアーケードの間に広がる空を探してももういない。アーケードを支える柱はところどころが錆びついて、というよりはところどころが錆びついていないとした方が適切だ。2つの赤提灯が柱の中腹とそれよりも少し上に直列にぶら下がって風に揺れている。下の一つは完全な球体で形を保っているが、上の一つは中の白い電球が露わになっており、電球が赤い傘を差しているようにも見える。

 雲行きを確かめるように目線を上げる。アーケードのトタン屋根は黄色く茶色く黒く暗く、透けた空は雨模様ですらない。スピーカーらしきものとランプらしきものが役割を失って、直角下向きにうなだれていた。『お買い物の散歩道』と書かれた桃太郎の看板も吊るされている。彼も御供も書かれた当時から年を取らず、赤いチークが彩度を落とし続けているばかりだ。背景の描かれた半円の虹も色あせていて淡い。そんな看板の近く、トタン屋根の一部が周りものと比べて少しだけ透明になっている。全体的に黄色くなり波打つ形が認識できる程度には凹みの部分が黒くなっているが、取り付けられた年代がずれていることは間違いない。以前雨漏りでもあったのだろうか。まるで空に浮かんだ地層。2つの異なる時代とその下で起こった出来事について考えてしまう。

 このトタン屋根は「要は」とてもレトロとややレトロという言葉で簡単に表現されてしまうのだが、奉還町商店街はレトロとモダンという「キャッチコピー」があるらしい。確かに、岡山駅に近く、交通量の多い方の入口側のアーケードはまっさらな白色である。駅から遠ざかるように西側へ歩けばある地点で突然変色する。けれども、軒を連ねる店は屋根の具合など関係ないようで、お好み焼きパンラーメンカフェ眼鏡パン焼肉。変色した地点では、3人の若い女の子がにぎやかに出店の番をしている。買いたかったのだが、私の左手はホットコーヒーがあり、胃袋はつい先ほど買ったデカクロワッサンでいっぱいになる予定。

 と、買っていたことをようやく思い出したコーヒーとパンに手を付ける。売主は赤い頭巾に赤いエプロンの仕事服を着た女性、いらっしゃいませという元気のいい挨拶の持ち主で、私としては喜んで買った。ホットコーヒーは冷めてしまっているがデカクロワッサンは少ししょっぱい味付けでこれは美味しい。

20240301

2024年3月1日 12:45~13:12

 星尾神社の境内、北向きの社殿の前で書いている。背の高いモミやクロマツアカマツに囲まれており人気はない。太陽を薄く覆う雲から少量の雪がじっと振り続けている。昼前から降り始めたその雪は、松の枝が横たわって落ちているこの境内や私の書いた文字に落下、透明になって消えていく。神社の屋根瓦に落ちたものだけが白い斑点をつくっている。

 後ろを振り返れば、登ってきた石段、歩いてきた参道がある。少し前にくぐった鳥居の横には、新調されて日が立っていないであろう真っ白な看板がある。書かれているのは建立の言い伝えで、今や私のiPhoneに収められている。

 

『往古から伝えられたところによると、この地は古代黒田として称え、戸数七十余戸の住人は、深く北辰(北極星)を進行していた。

 承久年間順徳天皇の御代に流れ星が落下、水田で光り輝いていた、この地の豪族妹尾兼定は、これを取りこの地に小祠を建てて奉祀し住民は明神様として厚く信仰した。

 およそ百年後の正中元年時の豪族妹尾平治右衛門が重病を患い神祇星辰に祈願していたところ、ある夜二十八宿の二つ「星、尾」を夢に見て、以来快方に向い、全快明神の加護ご神徳を深く感じ宮社を建立、星尾大明神と称し斎き祀ったのがその創建と伝えられている。

 以来黒田村を星田村に改められたという。

 現在の大字星田が当時の星田村である。』

 

 と書いている間も雪は降り続け、手がひたひたと冷えていく。時折強く吹き付ける風によって雪が舞う。背の高い木々が起こす葉擦れのざわざわとした音が少し怖い。唯一視界の開けている東側へ逃げるように移動すれば、斜面を登っていく道路やぽつりぽつり立つビニールハウス、屋根瓦の家々を見ることができた。道をたどって視線を上げれば、そう遠くに旅する間もなく地平線に到達した。

 神社を一周するように南側へと歩みを進めると、1組の紙垂が枝に括り付けられていた。その下から続くささやかなけもの道―参道は鬱蒼とした木々の中、湿った落ち葉で覆われた斜面を下り、左に大きく曲がって続いていく。ふと、真っ白な看板に書いてあったことを思い出す。

 

『現在の社殿は北向きに建てられているが、古くは南向きであったといわれている。

 伝えられるところによると、笠岡沖で毎年不漁が続くので、易ったところ北側に神威のはげしい神様の神殿が、南向きに建てられているためだとのお告げにより漁師たちが星田へ来て神殿の方向を替えるよう懇望され、北向きに建て替えたという。

 以来豊漁が続き。毎年の祭礼には笠岡から魚三荷が奉納されていたが、この慣習も天保(1830)の頃廃止されたと伝えられている。』

 

 木陰が折り重なった参道がいつからあるものなのか定かではなく、ましてや天保以前から踏み固められ続けたという保証はない。ただ、歩き続けることで残るものがあるのだと、それは書き続けることだって同じだろう。

 神社の西側にある奉納石柱は風化が激しく、そこに刻まれた文字を満足に読むことは難しい。いくら目をこらしても読み進められず、ひと際大きな葉擦れの音で我に返った。目の前を通り過ぎる雪によって視界が白い。ノートに舞い降りた雪は溶けることなく留まっている。拝殿の軒下に避難する。軒裏とマツの林に囲まれた狭い空を見上げると灰色の分厚い雲が見えた。石柱の文字は白くなった視界の中ではもう完全に字が読めない。彼らが支えた神社、降りしきる雪から私を守っている。

 『いくら目をこらしても読み進められず』から『今の私を守っている。』までをノートに書いたところで、日が差した。もう一度空を仰ぐ。木々の緑をフォトフレームにした空の中で、南側には灰色が、それでも北側は青々としている。弱まってもなお振り続ける雪に光が当たる。高いところで白く輝いたそれは、その風景は北極星のようだった。

20240203_2

2024年2月3日 12:30~12:44

 熊山遺跡を北西に見据えて、梅の木の下で書いている。真っ白な紙が太陽の光を反射して眩しくなるかと不安もあったが、ちょうど雲がかかったため助かった。

 熊山は保管林らしく豊かな植生を観察することができる。周囲ではスギ、チャノキ、ヒイラギ、シロダモなどが森林を形作っている。そんな森林と立ち入り禁止の杭、鎖に囲まれてなお、熊山遺跡は人目を惹き続けているから大したものだ。奈良時代の仏塔と考えられている遺跡の形は独特で、大きさも形も同じものはない石が連なって背を伸ばし、3段の石積み構造をつくっている。2段目の正面には長方形の穴が入口のように空いている。遺跡内部には石室があるらしいが、石に閉ざされており中を伺うことはできない。積みあがっている石は流紋岩といい、粘り気の強いマグマが固まった火山岩である。この周辺で火山活動があったことを示すものであるらしく、事実、8000万年前には火砕流を発生させたこともあるという。そんな火山岩が積みあがった遺跡と豊かな植生が一つの視界に収まっている。そのことが、そんな時間があった。

 日差しが強くなった。雲が動いて太陽が出てきた。葉の茂った木々の下へと姿を隠そうとあたりを見渡して、動物の気配がないことに気が付いた。少なくとも高い声で鳴く鳥がどこかにいるはずなのだが分からない。茂みを揺らすことをためらって、じっと日差しを受け取った。

20240203_1

2024年2月3日 12:10~12:20

 熊山の展望台で書いている。周囲のベンチでは何人もの登山者が昼食休憩をとっている。登頂の達成感や安堵が手伝ってかどのテーブルもにぎわっている。周りには装備を整えた登山者しかおらず、VANSのスニーカーが場違いなようで恥ずかしい。少し滑る足もとが不安で、下を向いてばかりいた。自尊心を保つために膝さえ痛めていなければと思いながら、救いを求めるようにノートを開く。展望台からの景色が開ける。それでも真っ先に見た眺望の下半分は低山で、尾根が私の視界にゆったりとした曲線を描いている。緑色の木々が小鳥のさえずりを聞いていた。小さく見える町に向けて送電鉄塔が立っている。青空を突き刺す鉄塔をたどって、送電線が細く長く伸びている。右手に流れる川は吉井川で、パノラマのメイン、瀬戸内海へ向けて蛇行中。青い帯は途方もない大きさで、巨大な島々を従えてもまだ余裕があるようだ。